独逸最後の夜
ホテルの近くのレストランで夕食をすませると、結構な時間になっていた。
明日の午後には引き払うため、今夜の内に荷物の整理をする。
用意をして、片付けて、気付けばもう11時。
コンコンとノックの音がして、臣は不思議に思いながらドアの前に行った。
「ま〜さお〜み〜くん、あっそびっましょ♪」
「…あのなぁ…」
がくりと脱力してしまったのは、無理の無いことだろう。
能天気なお姉さんの声に、呆れながらもドアを開ける。
「あんたなぁ、明日で最後だから、準備しておけっていったのは自分だろ?」
「だから準備できた頃に来たんじゃない。」
お姉さんが悪びれもせずに言うので、臣が溜め息をもらす。
「ったく。深夜に男の部屋に来るなんざ、いい年した女のすることじゃねぇぞ。」
「おや。女だと思ってくれてたんだ。」
そういってくすくすと笑う。
呆れた視線を投げる臣に、お姉さんが笑いながら言った。
「はいはい、そんな顔しない。せっかく手土産持ってきたんだから。」
はい、と両手に掲げたのは、ブランデーと氷。
「いらっしゃいませ、お姉さま。」
「うん。そのノリのよさと切り替えのよさは、大好きよv」
さっと腕を曲げて中へと促す臣を見て、お姉さんが楽しそうに笑いながら部屋に入った。
「あ?どうしたんだ?」
将がベッドに腰をかけて、不思議そうな顔をしたが、同じくお酒を見た途端、機嫌良く準備を始めた。
冷蔵庫にあるチーズを取り出し、ささやかな宴会の仕度をしていたら、酒の香りを嗅ぎつけたのか、のぞみとのぞむが現れた。
「おやおや。鋭いわねぇ。」
「まぁな。」
「僕たちも、将臣くんたちと飲もうかと思ってきたんだけど。」
苦笑するのぞみの手にも、酒瓶が一つ。
それから、つまみが少々、袋に入っていた。
「お前いつのまに?」
「カウホーフに行ったときに。」
いいながら、二人も飲む用意をして、それぞれにお酒を呷る。
昼間の喧騒が嘘の様に、静かに酒を飲み交わした。
窓から入る僅かな光と、室内の少しばかり薄暗い灯り。
グラスの氷に反射して、どことなく幻想的ですらある。
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 泣かぬ蛍が身を焦がす」
唐突に、お姉さんがそう詠った。
「内側に溜め込んで、身を焦がして焼きつくす前に、思いっきり鳴き喚いて、青春を謳歌なさい。」
のぞみに、のぞむに、そして将と臣をに視線を走らせ、お姉さんがからかうような口調で言う。
「んだよ、それは。」
将が呆れたように言う。
「ふふ。若者の特権よ。今の内しかできないんだから。」
お姉さんがグラスを揺らすと、からんと音をたてて、グラスの中の氷が揺れた。
「年寄り発言だな。」
「年寄りになってから、喚くわけには行かないってこと。」
年寄りといった臣の背中をさり気なく、だが思いっきり殴りつけ、お姉さんが笑う。
横ではげほげほと臣が咽ていた。
「ま、独逸最後の夜に、おねーさんの言葉の贈り物よ。ありがたく受け取りなさい。」
「おー、酒の方が嬉しいがな。」
適当に返事を返しながら、臣が新たにブランデーのビンを開ける。
「ほどほどにね。明日もそれなりに歩くんだから。」
くいっと自分のグラスのお酒を飲み干すと、ちゃんと寝るのよといいながら、お姉さんが部屋を出て行った。
「……………蛍ねぇ…」
まぁ、幻想的な夜だが。と呟いて、臣はほわほわと光が漂うような灯りの下で、グラスを片手にベッドにもたれているのぞみを見た。
その贈り物が、実は独逸と都都逸をかけていたと気付いて脱力したのは、酔いが完全に覚めた翌朝のことだった。
「駄洒落かよ!」
「洒落てるでしょ?」
お姉さんのにやりとした、確信犯的笑顔に、臣は言葉を返す気力もなく、はぁ、と溜め息を漏らした。
さらには、夕べ自分たちだけお姉さんと酒盛りしたと知った譲が拗ねて、臣は朝から少しばかり大変な思いをすることになった。
written by sou
イラスト sava 文 総
2007.01.24日記 泣かぬ蛍が身を焦がす:イラスト 07.19 独逸最後の夜 書下ろし