九郎が大学を卒業し、弁慶の就職が決まったある日、アメリカへ留学していた麗慶が帰ってきた。
抑えられた黒い瘴気と共にドアをくぐった姉の気配を感じ、弁慶はしばし固まった。
「あ、今絶対振り向きたくない・・・」
「うふふふふふふ」



 麗しき姉弟愛



「弁慶、久しぶりに会いに来た姉に、君の愛らしい顔を見せてくれないのですか。」
『私に背を向けるとは何事ですか。さっさと出迎えなさい』

「すみません、姉さん。]
黒い威圧をと共に、影の声を感じた弁慶は、ため息を飲み込んで振り返った。

「それはそうと、就職おめでとう。生物教師とはまた意外な選択でしたが、前途ある青少年を指導する大切な役目ですからね。誠心誠意を持って職に就くのですよ?」
『君も卒業して、やっと面倒ごとを押し付けられると思ったのに、何をとち狂っているんです。』

にこり

輝くような笑顔で麗慶が言う。

「まさか君が武蔵家の務めをけってまで教職につくとは予想外でしたよ。
けれど君のその決断は尊いものだと信じます。」
『九郎のお守りは君の役目でしょう。いつまで人に甘える気です』

「………姉さん…」
「ふふ。MINAMOTOグループの重役の座よりも魅力的なのですね。
さすが聖職といわれるだけのことはあります。
何が君にその選択を決意させたのかは分かりませんが、君の新たな道に祝福をしましょう。」

『教師なんぞに逃げやがって。おかげでこっちにとばっちりが来たじゃないですか』

「…………………」

「おめでとう、弁慶。」
『いい度胸ですね』

なぜだ。
声は柔らかい。
言葉は温かい。
眼差しは優しい。
微笑みは、春の女神とて裸足で逃げ出すほどに美しい。
柔らかな光りを纏うその顔、その姿。
なのに、この部屋を支配する真冬のシベリアも真っ青なこの気温は、空気は、いったい何故だ。

「ああ、君の代わりに私が武蔵の勤めを引き継ぐことになりましたよ。」
『それもこれも、お前が敵前逃亡しやがったからだ』

ピキッ

一段と優しくなった声音に、弁慶の周りの空気が凍りつく。

「私も、日本は数年ぶり。勝手が分からないことも多いでしょう。
問うまでもないと思いますが、心優しい私の弟は、当然不慣れな私を手伝ってくださいますね?」
『人に押し付けて逃げられると思うな。こっちに居る間はこき使うから覚悟しろ』

威圧が増すごとに、影の声の口が悪くなっていく。
もちろん麗慶がそんな言葉を言っているわけではないのだが、幼いころからこの姉の性格を熟知している弁慶には、まるで外国語の二重放送を聞いているように聞こえてくる。
「ねぇ、弁慶?」
問いかけているのに、それはすでに決定事項だった。

「弁慶?私は返事もできないような礼儀知らずを弟にもった覚えはありませんよ?」
『さっさと返事をしろ、この唐変木』

「…大変申し訳ありませんでした。久しぶりの姉さんの美声に聞きほれてしまいまして。」

「ふふ。口の上手いこと。それで?」
『御託はいいから答えんかい』

「………もちろん、あなたがつつがなく過ごせるよう、全身全霊をささげて助力させていただきます。」

「ありがとう。貴方のような弟を持って私は幸せですね。」
『当然だろう。この愚弟が』

ふわり

ヴィーナスも真っ青な艶麗かつ優美な笑みをもって、姉弟の不毛な会話は終了しました。

武蔵 麗慶  通称女帝
慇懃無礼がどこまでも似合う女









 


イラスト sava  文 総 (2006.09.21日記 10月加筆訂正)