幸先触れ
「リズ先生、式はいつにしましょう。」
にっこりと笑う弁慶に、リズヴァーンが固まったのはいうまでもない。
「弁慶…式とは?」
ずきずきと込みあがる頭痛をこらえ、リズヴァーンが言う。
九郎も麗慶も伴わず、弁慶が一人で来ること自体はそこまで珍しくない。
だが、真剣な顔で話があると言われて、いったい何が…?と思ってみれば…
「もちろん、先生と姉さんの結婚式ですよ。内々で済ませても構いませんが、周りに知らしめるのも必要ですからね。」
「弁慶…」
はぁ…と溜め息をつくリズヴァーン。だが、弁慶は楽しそうに話を続ける。
「やはり神前でしょうか。お二人ならチャペルのほうが似合うと思いますが。」
「どうしてそうなるのだ。」
「いっそ、海外挙式でも。」
「だから、弁慶。」
にこにことパンフレットを広げだした弁慶に、リズヴァーンが強く言葉をかける。
「からかうのは止めなさい。」
「僕は本気ですよ。」
叱るように告げたリズヴァーンを、弁慶がいつもの穏やかな笑顔で見つめた。
その瞳だけが、いつもと違い、強い光を湛えている。
何かと言うと、自分と麗慶を近づけようとしていた弁慶だが…何故急に、こんなことを?
リズヴァーンが怪訝そうに見つめ返せば、弁慶が苦笑した。
「心配なんです。」
「何が…?」
「いつ、姉さんが、あの人と同じようにされるか。」
「あの人…?」
弁慶がそのように告げる相手が思いつかず、リズヴァーンが首を傾げる。
「先生はお会いしたことがなかったと思いますが…僕たちには母の違う姉がいました。
彼女は20歳になる前に、年上の子持ちに嫁いだ…嫁がされた…」
「…それは、」
「ちょうどその頃、武蔵の経営していた子会社が不渡りを出しまして…まるでその穴埋めをするかのように、姉は貿易商へ嫁がされた…。」
まるで、ではない。本当に穴埋めをさせられたのだ。
彼女が嫁いだことにより、その貿易会社から融資を受け、何とか乗り切った。
「それから経営不振になる会社はなく、順調です。ですが、また、何かが起こったら。武蔵を揺るがすことが起きたなら。
真っ先にその責を負わされるのは、姉さんでしょう。」
武蔵の家にとって、女はそう言う存在だから…
「幸い、姉はその相手と幸せに過ごしています。ですが、姉さんの相手もそうだとは限らない。」
あまり話もできなかったあの人は、最期に寂しそうに微笑んで言ったのだ。
『幸せにね。』
貴方たちだけは。
本来ならこちらが告げるはずの言葉を、自分たちに告げたあの人は、自分の立場を何よりも理解していた。
このために、武蔵に引き取られていたことも。
逆らうことが許されないことも。
『お姉さんを、守ってあげて。』
誰にも聞こえないように、そっと告げられた言葉。
それができるのは自分だけなのだと、そう教えてくれた人。
「今なら、姉さんが誰に嫁ごうと、文句は言えない。そして、一度結婚してしまえば、離婚させてまで利用しようとはしないでしょう。
僕は、姉を道具にしたくないのです。」
苦しそうに告げる弁慶の顔からは、いつもの笑みが消えていた。
「だが…私では幸せにしてやれない…」
「ならば、問います。誰ならばあの姉を幸せにできると思いますか?」
言葉を濁すリズヴァーンに、切りかかるように弁慶が言う。
「姉が望む貴方以外の誰に。」
「弁慶。」
「気付いていないとは言わせません。あの視線の意味を。」
言いながら弁慶が見たのは、リズヴァーンが描いた絵。
彼が描いた、さまざまな麗慶の肖像画。
柔らかな少女の笑み。穏やかに微笑む今の姿。あどけない子供の様な顔。頬を染めた、リズヴァーンだけが見る笑顔。
リズヴァーンの数少ない人物画の大半は、麗慶が描かれている。
「そして、貴方も。姉さんをこのように描く貴方が、愛していないとは言わせない。」
鋭い視線で自分を見る弁慶と、リズヴァーンはひと時にらみ合うかのように見詰め合った。
火花が散るような視線を交わしたあと、やがて、小さく溜め息をついた。
「お前は、それでいいのか?」
苦笑気味にもれた言葉に、弁慶が一転して穏やかな笑みを浮かべる。
「偽者の家族が本物になる。それだけでしょう。」
九郎は拗ねるかもしれませんが。
そう付け加えて弁慶がくすくすと笑った。
「それに、一つ勘違いをしていますよ。」
弁慶がにこりと笑うのを、リズヴァーンが怪訝そうに見る。
「姉さんは、幸せにしてもらうような女じゃありません。自分で幸せを掴み取りに掛かる人間です。」
笑みを湛えて言い切った言葉は、その表情に反して力強く。
リズヴァーンは目を見開いて、言葉を失う。やがてその顔に苦笑が表れた。
「そう…だな…」
柔らかな笑みを浮かべてリズヴァーンが言った。
「ならば…私も、掴んでみるべき、か。」
「先生…」
弁慶が驚き、そして嬉しそうに笑った。
「本人の意思を無視した幸せなどあるまい。麗慶に話をするのが、筋だな。」
「どうか、姉さんをお願いします。」
ゆっくりと頭を下げる弁慶に、リズヴァーンが微笑んだ。
「分かったから…あまりせかさないでくれ。」
下げられた頭をぽんと撫でて、リズヴァーンが溜め息混じりに言った。
幼いころ、師事していた頃と変わらぬしぐさに、弁慶は頭を下げたまま、照れたように笑っていた。
written by sou
文 総
2007.05.16日記 幸先触れ 加筆修正
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